精神疾患に対する偏見や軽蔑

わたしは強迫性障害であることを友人や家族にも内緒にしているので、
精神疾患に対する偏見や軽蔑に直面したことはまだありません。
唯一、知っているのはザツ夫だけですが、偏見というよりはたまに精神病呼ばわりされて
馬鹿にされる程度で済んでいます。

昨今は精神疾患に対する偏見も減り、
理解してくれる方が増えてきました。
それでもまだ精神疾患に対する偏見や軽蔑があるのは事実だと思います。

夫であるザツ夫にさえも精神病であることを馬鹿にされ、精神病であるが故に見下されながら生活するという事実も、ここに存在するわけですから。

偏見や軽蔑の目が子供にまで向く時が来てしまうのなら、絶対に他の人にはバレないようにしなければいけないと強く思います。
それまでに何がなんでも治さなければならないと。


しかし、これが体の病気だとしたらどうでしょう?
「あの人は体の病気だから仕方ない」
「あの人は体の病気だから可哀想」
可哀想というのもGOODでもBETTERでもなく、NO GOODなわけで、最近はあまり聞かなくなりました。

それが精神疾患になると
「あの人は精神病だから甘えている」
「あの人は精神病だから近づきたくない」
もしかしたら、口には出せないけれど、そんな風に思われているのかもしれません。
って、わたしの考えは被害妄想が過ぎるかもしれませんね。
極度の心配症ですので。

将来、わたしの精神疾患が理由で子供がイジメにあったら・・・と、そこまで心配しております。トホホですよね。
それまでに治せばいいのですが。


個人的には軽蔑されるよりは
可哀想と思われる方がまだマシかなと思っています。
偏見や軽蔑は見下されているように感じるけど、
可哀想は同情しているように思えます。
可哀想であっても見下されたと感じる方もいらっしゃるでしょうから
言葉にして言うのは良くないとされています。
でも、同情と捉えると少し気が楽になるのは
わたしだけでしょうか?

結局は心の病になったことがないと理解できないのかもしれません。
夫だけではなく、精神科の医師にも同じ事が言えるでしょう。
専門的な知識が豊富にあったとしても心の病になったことがなければ、患者の気持ちを理解することはできないのかもしれません。
理解しようとする努力も無ければの話ですが。

一番の理解者であってほしい夫からの理解を得るのは最も難しいです。
なぜ夫は理解してくれないのか?
きっと、理解するための心のスペースがないんです。
それだけ心が狭いということかもしれません。

ただ、理解しようと努力さえすれば、
心の病になったことがなくても
容易に相手の気持ちを思いやれるはずです。

夫の心の中に精神疾患のスペースをつくり、
その場所は相手を思いやる気持ちを育みましょうって
教えてあげるのは妻であるわたしの役目。

知識を身につけ、治療に協力してもらえるのは
それができてからのことですね。


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